管理人プロフィール
hiroについて
2015年現在、41歳。福岡県久留米市在住。サッカーは大学生ぐらいから見ています。観るのは日本代表かJリーグで、海外サッカーはあんまり見ません。高校までは別のスポーツやってました。既婚、男の子2人の4人家族。だいたい家族でスタジアムに通っています。
私のJリーグ観戦のはじまり
Jリーグの試合を初めて生観戦したのは、確か開幕した1993年の雨の三ッ沢。フリューゲルスのホーム戦。相手はどこか覚えてないw。もしかしたら年度違うかもです。当時大学生で横浜にいた私は、日産と読売の黄金期だったので、マイナーなほうの横浜フリューゲルスがお気に入りでした。当時はJリーグバブルで、結構すごい外国人いましたね。フリューゲルスでいうと、ジーニョ、サンパイオ、エバイールのブラジル人トリオ。アマリージャとかも好きでしたね。日本人では、前園とか山口、服部(後に鳥栖に来る)。前田治とか。現松本監督の反町とかもいました。
その後はボチボチテレビ見る程度でしばらくは試合観戦はご無沙汰。
横国徒歩5分小机時代。横浜FCの練習風景。
その後、確か1999年ぐらいに横浜市の小机という所に住む事になりました。小机というのは横浜国際球技場の最寄駅なんですね。横国が出来たのが1998年で、まだ目新しい巨大なスタジアムでした。近いがゆえに当日ひょろっと観戦する事が出来、デカイがゆえに入れないことはまずないという快適な観戦ライフを送っていました。
その頃、横国のサブグランドで練習していたのが、横浜FCでした。基本的に判官贔屓な性格で、弱い方を応援しちゃうんですね。三ッ沢に見に行ってました。今wikiで確認したら、まだJFLだったんですね。確かソシオとか盛り上がってたんじゃなんかな。
そんなこんなで三ッ沢行ってる間に、今度は地元のチームを応援したくなります。それなりにアビスパ情報は追っかけていました。「神を見た夜」のビデオも買いましたねえ。あれは感動した。山下、久永、藤本とか中払とか、若く生きのいい選手がいましたね。2000年のファイトするスタイルのピッコリ監督での躍進とか。この頃はまだスタジアム行ったりしてません。
そうこうするうちに、落ちない落ちないとか受験のお守りまででちゃうようなアビスパだったんですが、2001年についにJ1から降格してしまうんですね。そして2002年から規模縮小してのJ2でのスタート。これは応援してやらんといかんとなるわけです。
アビスパ中興の祖。松田監督の時代。
2002年の監督、今井雅隆さんはけっこう叩かれてましたね。そしてアビスパは2003年から松田監督が就任し、中興を果たすことになります。予算は抑え気味ながら、若手を起用してしっかりと組織を作ってじょじょに力をつけていきます。2004年は入れ替え戦に手が届き、2005年ついにJ1復帰を果たします。とにかくこの頃のアビスパは強かった。確か2005年リーグの後半はものすごい連勝してぜんぜん負ける気がしませんでした。左のアレックスと古賀誠史のコンビが最強で、ホベルトとかグラウシオとか。林も福嶋もいい選手でした。
さて、私自身は2004年に久留米に戻ってきます。それでたまに博多の森や鳥栖スタにいったり、スカパー見たりしてました。その頃、鳥栖は経営危機を迎えるわけです。福岡県民といえど、久留米市と鳥栖市はおとなりなので気にかかっていました。原資問題やら新スポンサーやらで揺れて2005年、新会社サガンドリームスが誕生し新しいスタートとなります。
頑張れ新会社!ついに鳥栖サポーターに!
2006年、J1に巣立ったアビスパに代わって心機一転頑張っている鳥栖を応援しようと思い立ちます。井川さんの話やら松本さんの熱い話や心動かされましたね。私自身はアビスパファンだったけど別に鳥栖が嫌いとかじゃなかったんですよね。その頃は一番安い鳥栖スタのゴール裏で見てましたね。
それまではサポーターっていうものにちょっと壁を感じていたんですね。サッカー見るのは好きだけどなんか同じような事しなきゃいけないがどうも違和感があって。あくまでテレビで観戦したりたまにスタジアムに行く程度。レプユになんてとてもとても。いちファンでサポーターって感じてはありませんでした。ですが、応援する意味で、2006年についに年パス、ドリームパスポートを買います。頑張ってたし一生懸命さが感じられたので応援の意味も込めて。
サガン鳥栖の歴史はまた別のところで書くとして、まあ、そんな感じで私の観戦ライフは今に至ります。今じゃチャントも歌えるし、レプユニも着てます。入場する時のチャント「マイノリティー」が大好きです。マイノリティーってとこが鳥栖らしいなと。そんな鳥栖もメジャーを狙う存在になりつつありますが。
2015.9.8
ad
公開日: